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東京地方裁判所 昭和56年(合わ)123号 判決

事件

主文

被告人は無罪。

理由

一公訴事実に対する判断

(一)  本件公訴事実は、「被告人は、昭和五六年四月七日午前四時ころ、東京都足立区島根三丁目二三番六号所在の自己及び妻須田喜代子(当三七年)らが現に居住する木造モルタル亜鉛板葺二階建家屋である被告人自宅において、かねて右喜代子が浮気をしているものと考え、嫉妬心にかられて煩悶していたところから、思い余つて同女の就寝中同家屋を焼燬するなどして同女を殺害しようと企て、階下六畳間及び台所にガソリンを振り撒き、マッチで右ガソリンに点火して火を放ち、もつて、現に人の現住する建物に放火した上、二階六畳間に就寝中の同女に対し、出刃包丁(刃体の長さ約一四センチメートル)でその頭部等を数回切りつけたが、隣人に発見消火され、同女が屋外に逃れ出たため、同建物内の襖、整理ダンス等家具の一部を焼燬し、同女に対し入院加療約三週間を要する頭部、左背部、右頸部刺創、両上下肢熱傷の傷害を負わせたにとどまり、家屋焼燬及び殺害の目的を遂げなかつたものである。」というのである。

(二)  右事実は、被告人の当公判廷における供述、第一回公判調書中の被告人の供述部分、被告人の検察官(二通)及び司法警察員(三通)に対する各供述調書、須田喜代子の検察官及び司法警察員(二通)に対する各供述調書、須田高志、太田邦彦及び川崎真一の司法警察員に対する各供述調書、司法警察員作成の捜査報告書、実況見分調書(二通)、写真撮影報告書(三通)及び領置調書、司法巡査ら作成の現行犯人逮捕手続書、医師城谷典保作成の診断書、東京法務局城北出張所登記官梶川貞男作成の登記簿抄本、被告人作成の任意提出書、警視庁科学捜査研究所法医科主事高木賢治及び同第一化学科主事大野信彦作成の各鑑定書、東京都足立区長古性直作成の戸籍謄本、押収してある出刃包丁一丁(昭和五六年押六九六号の一)により、これを認めることができる。

(三)  なお、弁護人は被告人には殺意がなかつたと主張し、被告人も当公判廷において殺意を否認し、妻喜代子に今後も家族四人で生活していく意思があるか問いただすために脅すつもりで本件行為を行つたと供述するが、浮気を問いただすために脅すならともかく、今後の家族生活を続ける意思を問いただすため脅すという供述自体不合理であるばかりか、右各証拠によると、被告人は、妻喜代子が二階六畳間に寝ている時に、木造二階建ての建物の階下六畳間及び台所等にガソリンを振り撒き、マッチで右ガソリンに点火したものであり、同女が逃げ遅れれば焼死する危険が十分にあつたこと、更に被告人は、十分に殺傷能力を有する刃体の長さ約一四センチメートルで先端の鋭利な出刃包丁で、身体の枢要部である同女の頭部、左背部及び右頸部に数回切りつけており、これはそれ自体で極めて危険な行為と言えるばかりでなく、逃走を困難にする効果を十分に持つこと、被告人は本件犯行直後現場に急行した警察官に対し、「妻を殺して自分も死ぬつもりでガソリンを撒いて家に火をつけました。」と自供していることなどが認められ、以上の事実に照らすと被告人の捜査段階における殺意を認める供述が信用でき、被告人に殺意があつたことは明らかである。

二責任能力に対する判断

(一)  弁護人は、被告人が本件犯行当時妻喜代子に対する嫉妬妄想を主徴とするパラノイヤに罹患しておりこれに基づいて本件犯行を惹起したのであるから心神喪失の状態にあつたと主張し、検察官は、被告人が同病に罹患していたとしても人格全般の変質崩壊がないから限定されているとはいえ責任能力があると主張する。

(二)  そこで検討するに、前掲各証拠並びに第二回公判調書中の証人須田健之助及び同須田光春の各供述部分、岸丑之助、町田ウラ及び飯村芳枝の司法警察員に対する各供述調書によると以下の事実が認められる。

1  被告人は、法政大学法学部を二年次で中退後、職を転々とし、昭和四一年ころから江北興業の名で防水業の仕事をしていたが、昭和四三年二月一九日、栃木県小山市出身の須田喜代子(旧姓町田)と見合い結婚をした。その直後ころから、喜代子が、被告人は嫉妬深くて困るなどと母町田ウラや姉飯村芳枝に訴えることもあつたが、被告人夫婦は、一男一女をもうけ、概ね平穏な家庭生活を送つていた。

2  ところが、数年前に、被告人家族が、栃木県小山市の飯村芳枝宅を訪ねた際、同女が胸が半分見えるような姿で応待に出てきたため、被告人は同女が浮気を誘つているものと感じ、東京に帰つてから同女に電話して「東京に出て来ないか。」などと誘惑したが、同女にすげなく断られ、それが同女の夫飯村庫造、母ウラ、喜代子などに知れ渡ることとなつた。しかし、庫造から被告人に抗議の電話がかかつてこなかつたため、被告人は逆に庫造が喜代子に言い寄つているのではないかと疑い始め、それを同女に何度も問いただした。同女がこれを否定しても、被告人は疑いを深めるのみで得心せず、その後、夫婦生活が微妙に変わつてきたような感じがし、同女が誰かと浮気をしているのではないかという疑いを抱き続けた。

3  昭和五五年秋ころ、被告人が帰宅した時は自宅玄関の外灯などが消えており、逆に被告人が自宅にいる時はそれがついていることが数回あつたが、被告人は、喜代子にその理由を聞いても納得のいく説明が得られなかつたので、不自然な感じを受け、自分が家にいるかいないかを浮気の相手に知らせようとしているのではないかと疑い、同女に対し浮気の相手を言えとしつこく問い詰めるようになつた。昭和五六年二月上旬ころ、玄関の扉をノックする音が聞こえると喜代子に言われ、被告人が出たところ、誰もおらず、自宅の周りを回つてみると、路地裏に若い男が立つているのが見えたので、それを同女に「いたぞ。」と言うと、同女が「誰々さんでしよう。」と近所の医師で子供の同級生の親の名をあげたことがあつた。被告人は浮気の相手が来ていたに違いない、喜代子が被告人に玄関の様子を見に行かせたり路地裏の若い男と違う医師の名前を言つたのは浮気をごまかすために違いないと益々疑いの念を強めた。

4  被告人は、右の経過で喜代子の浮気を確信し、何としても同女に浮気の相手を言わせようと決意し、昭和五六年二月一四日、同女を近くのモーテルに連れて行き、同女に対し、その顔面を平手で数回殴打したり、モーテルにあつた盆でその頭を叩いたり、更に用意していつた裁鋏でその髪の毛を切るなどの暴行を加え、浮気の相手を言えと強く迫つたところ、喜代子は恐怖の余り口から出まかせに飯村庫造他二名の名前をあげてしまつた。しかし、被告人は近所にも相手がいるに違いないと更に同女を問い詰めたが、同女は被告人の隙を見て脱出し、親戚の飯島安太郎宅へ逃げ込んだ。喜代子の親戚が集まり、離婚させようということになつたが、被告人と喜代子で話し合い、もう一度やり直すことになつた。

5  しかし、被告人は、その後も疑惑を解消することなく、夜中一人で起きて家の周りを回つてみたり、玄関横に「馬鹿野郎近寄るな」と書いた張り紙をしたり、更に、受話器の具合が悪く修理してもらつた際、修理屋が壊れた部品を机の上に忘れていつたところ、修理屋と喜代子の仲を疑つてその写真を撮つたり、同女が家事で突き指をしたり、乗用車を洗つた際に目付近をドアにぶつけあざができたりすると、それも浮気によるものと疑つて写真を撮るなどし、奇行が増えてきた。被告人は、喜代子に対し、「浮気をしているだろう、相手を言え。」と毎日のように問い詰めていたので、同女はこのような状態に耐えかね、しばしば栃木県小山市の実家に帰つていた。また、被告人は、このころより、仕事先の些細な言葉を気にし、妻かその浮気の相手によつて何らかの方法で自分が中傷され仕事を妨害されているとの疑惑も抱くようになつた。

6  被告人は、同年四月六日夜、喜代子や子供が二階に行き寝た後も、一人階下六畳間に残り、仕事の書類の整理をしたり、テレビを見るなどしていたが、同女の浮気のことが頭を離れず、眠れないまま翌七日となつてからも、同女とのこれまでのいきさつや同女の男関係のことなどを思い悩んでいたが、同女が離婚をほのめかした言葉などを思い出し、同女は自分と別れ他の男と一緒になるのではないかなどと思い詰め、嫉妬心にかられた末、それならばいつそのこと同女を殺害しようと決意し、前記の犯行に及んだ。

(三)  以上認定の事実及び第四回公判調書中の証人兼鑑定人保崎秀夫の供述部分、証人兼鑑定人辰沼利彦の当公判廷における供述を総合すると、被告人は根拠ともならないことから喜代子の浮気を疑い始め、偶然の出来事などを自分の疑惑に一致するように意味づけ解釈し、ついにそれを確信し、強固な嫉妬妄想を形成するに至るとともに、仕事が妨害されているとの被害妄想を持つに至つたものであり、これは症的状態と言う他なく、精神医学的には被告人はパラノイア(妄想病)の状態にあつたものであること、本件犯行はその症状である嫉妬妄想に基づき行なわれたものであることが認められる。

(四) 以上のとおり、被告人は本件犯行当時パラノイアの状態にあり、右犯行はその症状の嫉妬妄想に基づくものであるから、被告人は本件犯行当時行為の是非善悪を弁識し、その弁識に従つて行動する能力を欠いていたと認めるのが相当である。

(五)  これに対し、検察官は、責任能力の有無は、犯行当時の被告人の全人格を総合的に評価して判断すべきであつて、単に嫉妬妄想という部分的なそれを評価してすべきではないと主張する。

前掲各証拠によれば、なるほど被告人は妻が浮気をしているとの嫉妬妄想及びこれに関連して仕事についての被害妄想を抱いているだけでその余の面について人格的崩壊がない。しかし、責任能力の有無は、是非善悪を弁識しこれに従つて行動する能力の有無によつて判断されるものであるが、それは一般的、抽象的な弁識能力、行動能力ではなく、犯罪として問われている当該行為におけるそれであるから、全人格的な崩壊があるか否かは直接関係がない。本件においては、前判示のとおり、被告人は強固な嫉妬妄想に支配されやむを得ない行為として本件犯行に及んだものであり、その妄想下においては、被告人にはこれを回避する手段が残されていなかつたことは前記鑑定人の一致して供述するところであるから、その責任能力を否定せざるを得ない。

検察官が論告において引用する判決例は、無罪となつた一例を除き、パラノイアではないもの、パラノイアであつても妄想に直接基因しないものあるいは症状がさほどではないものであつて、本件と事案を異にしている。以上のとおりであるから、検察官の右主張は採用できない。

三結論

本件は刑法三九条一項に規定する心神喪失者の行為であるから、刑事訴訟法三三六条前段により被告人に対し無罪の言渡をすべきものとして、主文のとおり判決する。

(近藤和義 小川正明 青柳勤)

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